0
¥0

現在カート内に商品はございません。

大阪100年企業の創業者

~世界に誇る人物~

松下幸之助

(まつした こうのすけ1894年〈明治27年〉11月27日 - 1989年〈平成元年〉4月27日) は、日本の実業家、発明家、著述家。 位階は正三位。パナソニック(旧社名:松下電気器具製作所、松下電器製作所、松下電器産業)を一代で築き上げた経営者である[2]。 異名は「経営の神様」。その他、PHP研究所を設立して倫理教育や出版活動に乗り出した。さらに晩年は松下政経塾を立ち上げ、政治家 の育成にも意を注いだ。

経歴

生い立ち

1894年11月27日、和歌山県海草郡和佐村千旦ノ木(現:和歌山市禰宜)に、小地主松下政楠・ とく枝の三男として出生。 家が松の大樹の 下にあったところから松下の姓を用いたとする。 大阪市に導入された路面電車を見て感動し、電気に関わる仕事を志し、 16歳で大阪電灯 (現:関西電力)に入社し、7年間勤務する。当時の電球は自宅に直接電線を引く方式で、電球の取り外しも専門知識が必要な危険な作業 であったため、簡単に電球を取り外すことができる 電球ソケットを在職中に考案する。1913年に18歳で関西商工学校夜間部予科に入学した。 1917年、大阪電灯を依願退職した。

会社創業

大阪府東成郡鶴橋町猪飼野(現:大阪市東成区玉津2丁目)の自宅で、妻むめのと、その弟の井植歳男(営業担当、後に 専務取締役、戦後 に三洋電機を創業して独立)、および友人2名の計5人で、同ソケットの製造販売に着手。しかし、新型ソケットの売り 上げは芳しくなく、 友人2名は幸之助のもとを去ったが、川北電気(現在のパナソニック エコシステムズ)から扇風機の部品を大量に 受注したことにより窮地 を脱した。その後、アタッチメントプラグ、二灯用差込みプラグがヒットしたため経営が軌道に乗る。 事業拡大に 伴い、1918年に大阪市北区西野田大開町(現:大阪市福島区大開2丁目)で松下電気器具製作所(現・パナソニック)を創業。 電球ソケット に続き、カンテラ式で取り外し可能な自転車用電池ランプ(1925年から「ナショナル」商標を使用開始)を考案し、これらの ヒットで乾電池 などにも手を広げた。1929年の松下電器製作所への改称と同時に『綱領・信条』(当時の日本で個人経営主がこれを決める事は無い事であった)を設定した。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』参照

松下幸之助を育んだ街
会社所在地・幸之助氏関係地

■本社住所:〒571-0050
大阪府門真市大字門1006番地
電話番号:06-6908-1121(大代表)
■松下幸之助 生誕の地 和歌山県和歌山市祢宜1216
■松下幸之助起業の地
東成区玉津2丁目14
■松下幸之助創業の地①創業の家
福島区大開2丁目12−14
■松下幸之助 創業の地記念碑
福島区大開1−18−25
■パナソニック ミュージアム 松下幸之助歴史館
門真市門真1006

カテゴリ一覧

ページトップへ